弁護士のひとりごと
弁護士増員
弁護士増員に反対する弁護士たちに対して、多くの新聞が弁護士批判を展開している。
要は、既得権益にしがみついて、司法改革を妨害しているという批判である。
こういった批判に対して、非常に多くの弁護士が強く反発している。
「安定した生活をしたいという多くの弁護士の本音が噴出したようだ」とか、
「余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない」とまで書かれると、確かに私自身「げっ。そこまで言うか」という気もした。
しかし、基本的には、新聞の言っている内容が正しいのだと考えている。
個人であれ団体であれ、それに対する正しい評価を知りたいと思ったら、その当事者の意見よりも、第3者の意見を聞くべきである。
当事者が自分自身に下す評価と、第3者が下す評価が異なる場合、特に複数の第3者が同じような評価をしているのならば、まず間違いなく第3者の評価が正しい。
一般論としてならば、これはほぼ間違いの無い真理として、みんな理解しているはずである。
別に権威にすがる必要もないが、バートランド・ラッセルが20世紀始めに書いた文章を引用してみる。
「たとえば、インドでイギリス人がしていることについて考えよう。
たいていのイギリス人の目には、インド在住の同胞は、蒙昧主義や偏狭な思想や迷信に抗して、勇敢に文明の恩恵を普及すべく苦闘しているように映る。
他方ほとんどの外国人には、インドのイギリス人は、権力を振るい搾取を強要する専制君主としか映らない。
インド在住のイギリス人がどのように感じているかを知りたければ、われわれはイギリス人の視点に立たねばならない。
だがイギリス人がインドでしていることを知りたければ、外国人の視点をとらねばならない。
同じことが、ハイチ島や中央アメリカにおけるアメリカ人の行動や、帝国主義者全体の所業一般について言えるだろう」
新聞社が行っている再販価格の維持について、新聞各社は日本の文化を守り、文明の火を絶やさないためだと主張した。
一方、新聞各社以外のものは、新聞社の利益の確保のためだと主張した。
この場合、もちろん正しいのは、当事者でない新聞各社以外のものの意見だと信じる。
弁護士増員反対について、多くの弁護士は、基本的人権を保持し、国民の権利を守るために必要だと主張している。
一方、マスコミ各社は、弁護士の利益のためだと主張している。今回に限って、当事者である弁護士の主張が正しいと言えるほど、私の心臓は強くない。
かつて芥川龍之介は、「日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。」と皮肉った。
現在多くの弁護士が、「弁護士は常に人権を擁護し、何が国民のためになるかを考えている。これらは弁護士の経済的利害と決して矛盾しない」と大真面目で主張している。
芥川が聞いたら笑うだろうか。
弁護士が経済的安定を求めること自体が悪いとは言わない。しかし、それなら「国民の利益」などの裏にこそこそと隠れずに、はっきり、
「自分たちの生活の安定のために、弁護士増員には反対だ」と主張すべきだろう。自己批判能力を欠き、知的誠実を失くした弁護士の姿は醜い。
世の中が変わっていく中で、居心地の良かった過去を捨てて、新しい世界に飛び込んでいくには勇気がいる。
しかし、それが出来たときに、初めて国民から信頼される弁護士になれるのだと思う。
「被搾取階級」の弁護士
独立開業後、ロータリークラブに入れて貰いました。ここで、弁護士について、いろいろと考えさせられましたね。
入会直後、ある会員の人と話していたら、話題が弁護士のことになりました。 その方は、自分がどれほど酷い目にあったのか、弁護士がいかに何もしてくれなかったのかをさんざん話して、「本当にあいつらは酷いよな」とお怒りです。 何だって私にこんなこと言うんだろうと思いながらも、適当に相槌を打ちながら聞いていました。 数日経ったころ、その人から、「あなた弁護士さんだったんだね。知らないで悪口言っちゃったよ」と声をかけられました。
その後、今度は数人のロータリークラブの人達との雑談で、弁護士のことが話題に上がりました。 今度は私が弁護士だと皆さんご存知ですが、みなさん弁護士をぼろくそに言うんですね。
「顧客満足度が一番低い業界だ」 「酷いサービスでも、他を知らないから、また頼まざるを得ない」 「お金ばかりとって、何もしてくれない」 「遠慮してしまい、分からないことも質問できない。何だってお金払っているこっちが遠慮しないといけないんだ」 「身内に甘い。懲戒を決めるのに外部の者を入れないで、身内だけで決めている」
などなど、皆さん恨みつらみがあるようです。
私は企業の法務部出身ですから、多くの大企業の法務担当者とも弁護士について話す機会はありました。 もちろん、その中で役に立たない弁護士への不満はでましたが、これほどの激しい恨みは聞いたことがありません。 考えてみますと、ロータリーの会員のような、中小企業経営者、不動産所有者といった人たちが、これまでの弁護士の餌食!になっていたという現実はあると思います。
貧しい人たちのために、手弁当で親身に戦う弁護士がいたことは否定しません。大企業や大金持ちには、それなりの弁護士が付きます。 しかし、ちょうどロータリー会員のような小金持ちの人たちのことを親身に考えていた弁護士というのは少ない気がしてきました。 例えば、増員反対の「人権派」弁護士の方など、臆面も無く「儲かる仕事で利益を上げられないと、公益活動が出来なくなる」などと主張しています。 まさに、この儲けるためのターゲットにされて、不当な扱いを受け、弁護士により搾取されていた階級というのがこの人たちなのだと思います。
今後私は、このような「被搾取階級」の為の弁護士として活躍していきたいと考えています。
専門家は信用できるか
先日、1歳半になるうちの息子の具合が悪くなったので、近所の病院に連れて行きました。 見るからにぐったりしているの
で、こちらとしては心配しているのですが、近所の病院では、大したことない、そのままにしておけば良くなると言うだけです。
こちらは心配なものですから、毎日のようにその病院に行って、本当に大丈夫でしょうかと聞くのですが、やはり同じ答えです。
どうしてもとお願いして、点滴を打ってもらうことになりましたが、その病院の設備は塞がっているということで、他の病院に行ったのです。
そうしたところ、その新しい病院では、これは脱水症がかなり進んでいて、このままでは命にかかわると言われ、急遽入院することになりました。
全部で10日以上の入院で、かなりの大ごとです。
別に私は、近所の病院の医療過誤を問題にしたいわけではありません。
ただ、専門家の見解というのは、時として非常にあてにならないものだなということを言いたいだけです。
心理学の実験で、お医者さんに、それまで経験したことのない病気に対する判断をしてもらうというのがありました。
その時に、自分の判断に対して、どれだけ自信を持っているかも、合せて答えてもらうわけです。
最初は、みんな自分の判断にそれほど自信がないと回答します。ところが、同じ実験を繰り返していくと、
その病気に対する知識は何ら増えておらず、従って判断の客観的な正しさも全く増加していないのに、その判断の正しさに対する自信だけが増大していくという結果が出たそうです。
他人のことはともかく、自分も法律の専門家として、同じようなことを顧客に対してしているのではないか、注意していかないといけないと強く感じた次第です。
横浜パートナー
お客様のパートナーとしてやっていきたいとの思いを込めて、事務所の名前に、パートナーという言葉を使いました。
しかし、一般に弁護士でパートナーといった場合は、弁護士事務所の(共同)経営者である弁護士を言います。 パートナーに使われている勤務弁護士は、アソシエイトと言うんですね。 弁護士の知合いに、事務所の名前を言うと、一人でやるのにパートナーとはどういうことかとか、アソシエイトも雇うのかといったことを言われます。 私自身、パートナーという名前は、少し変なのかなと思っていました。
これに対して、弁護士以外の人に事務所の名前を言うと、「依頼者のパートナーとしてやっていきたいって意味なんだろう」と、特に説明しなくても正しく理解してくれます。
言葉の意味一つにしても、弁護士とそれ以外の人とは、少しずれがあるのかなと感じました。
弁護士が依頼者のパートナーになるって、どういう意味なんだと、質問されたときには著名な経営コンサルタントであるピーター・ドラッカーの、 壁塗り職人のたとえ話をすることにしています。
ドラッカーは、専門家(当然弁護士のような法律の専門家も含まれます)の行う仕事のあり方について、次のような壁塗り職人のたとえを用いて説明していました。
家を作っている人が、その家の壁を塗るのに、専門の壁職人に依頼しました。 一人の職人は、「あなたは何をしているんですか」と聞かれたとき、「私は世界で一番すばらしいものを作っているんです」と答えました。 同じ質問に対して、もう一人の職人は「私はお客様の家に相応しい壁を作っているのです」と答えたということです。
ドラッカーは、この話によって、専門家の視野の狭さ、融通の利かなさを問題にしているわけです。 もちろん、壁塗り職人でありながら、満足な壁を作れない者は問題外です。 しかし、壁作りが専門で、自分の仕事に自信をもっているからといって、ただ壁のことだけしか考えないような職人も大きな問題です。 なぜなら、壁を作るという仕事は、それより上位の目的である、家を作るということの一部としてなされているということを見落としているからです。
私は、企業の法務部門を長く経験し、さらに弁護士として事務所で勤務する中で、多くの弁護士を見てきました。 そして、多くの弁護士について、ドラッカーのこの批判が当てはまると感じています。
莫大な費用をかけてでも、ほんの小さなリスクに対応するように言い張る弁護士がいます。 家の全財産以上の立派な壁を作れと言ってるようなものです。
報告書の言い回しが気に食わないからといって、それを直すのに何時間もかけたうえ、その費用を依頼者に請求する弁護士もいました。 自分にしか分からないこだわりのために、何時間もかける職人さんということです。 お客様が、本当にそんなことを望んでいるのかなど、考えたこともないのでしょう。
法律のことはこっちが良く分かっているんだから、素人は口をだすなといった態度の弁護士もいます。 壁を作るのは、そもそも家を作る一環であること、壁を含んだ家全体について、依頼者が何を望んでいるのかを知る必要があることを理解できていないのです。
お客様と家作りの目的を共有すること、それが優れた壁職人として必要なことです。
そうすることで、初めて、単なる専門家ではなく、お客様のパートナーとして、仕事をしたといえるのです。
お客様の目的、目標を理解、共有し、その一環として法務サービスを提供することで、弁護士もお客様のパートナーになれるのだと思います。
ご近所の弁護士だから依頼する?
弁護士を選んだ理由に、「近所の弁護士だったから」と答える人が、かなりいるそうです。 確かに、近所の人には親近感を感じます。 打合せをするのにも、何かと便利ではあります。
しかし、弁護士を選ぶという、非常に重要な決定をするときに、近所だということで選ぶ人がいるのには、他に理由があるはずです。 つまり、どんな基準で弁護士を選んだらよいのか、一般に、全く知られていないということです。
どんな基準で選んで良いのか分からないから、唯一自分で分かる基準、つまり「近所の弁護士」ということで選んでいるのです。
これは、弁護士の側にも責任があります。
弁護士の仕事内容等、外部に向かってしっかりと説明していないので、一般の人はどんな基準で選んで良いのか、分からないのです。
しかし、なんといっても、弁護士を選ぶのに一番大切な条件は、うまく一緒にやっていけるか、信頼して何でも相談できるか、という点だと思います。
そのためには、実際に会って話してみるしかないのでしょうね。
弁護士増員(2)
弁護士増加の流れというのは、つまるところ一般市民からの「特権階級許さじ」「弁護士儲け過ぎ。人数増やして収入へってあたりまえじゃ」「敷居が高くて態度も悪い。人数増やせば、少しは良くなるだろう」
という意識を反映して起こったものだと考えている。民主社会では、「うまいことやっている」集団に対して圧力が加わるのが通常の流れである。
今回は弁護士がターゲットになったのだと考えるべきだ。
そして、弁護士の側も、このような市民の、批判を浴びてもしょうがなかったと思う。
司法修習を終わると、何の社会経験もないものが100%就職して、最低600万円の収入を得られるのが当たり前ですといった主張が、一般市民に受け入れられるわけがない。
「国民みんな苦しんでるんだから、弁護士のパイをもっと大勢で食べることにしてね」と言われたならば、弁護士側もこれほどおかしな主張を始めなかったのかもしれない。
ところが、弁護士増加論者が、「弁護士が増えると司法の問題が全て解決する」「弁護士過疎が生じているのも弁護士が少ないためだ」「国選事件がうまくいかないのも、冤罪事件が生じるのも弁護士が少ないためだ」などという主張をしているので、弁護士側としても、突っ込みを入れずにはいられない。
弁護士が増えたって、儲からない地域に弁護士が行くわけがない。儲からない国選を何故熱心にやると期待できるのか。こういう批判が、弁護士サイドから出てくるのは自然なことだし、全くそのとおりだと私も思う。
ところが、弁護士側の主張はこれにとどまらない。弁護士がこれ以上増加すると暗黒時代が訪れるだの、天が落ちてくるだのということを、相当数の弁護士が、大真面目で主張してい
る。こうなると、「あなたたち正気ですか」と言わざるを得ない。
増加反対論者は言う。弁護士が増えると、喰えない弁護士が悪事に手を染める。だからこれ以上増加すると大変なことになると。
しかし、そんな理屈が通るなら、弁護士に成れなかった人が身を持ち崩して犯罪者になる方が可能性は高いだろうとちゃちゃを入れたくなる。そういえばその昔、銀行員の高給が批判されたときに、「銀行員は大金を扱っているから、十分な給料を与えないと横領などの犯罪を犯す」と、銀行側が大真面目で主張していたのを思い出した。その後、銀行員の給料もかなり減ったが、特に銀行員の横領件数が増えたということも聞かない。かつて銀行の主張が市民から「ぷぷっ」と笑われていたように、弁護士の現在の主張も笑われていることに気がつかないのだろうか?
増加反対論者は言う。弁護士はラーメン屋と違って、お客が正しく評価することが出来ない。弁護士の数を増やして自由競争にすると、悪い弁護士事務所ばかり栄えることになると。
しかし、売れないラーメン屋さんも、「お客はラーメンの味を分からない」と主張しているのである。「お客は店の外観やサービスで選んでいるだけだ」と泣き言を言うラーメン屋さんも多い。お客に弁護士の法律知識は分からないかもしれない。しかし、自分の言うことを親身に聞いてくれるのか、分かりやすく説明してくれるのか、連絡を取ればすぐに返答をくれるのかといった点は良くわかる。そして、それらによって弁護士を評価するのは当たり前のことである。横柄な態度で話も聞かない、それでも腕は大変良いという弁護士が、いったいどれだけいるというのだろうか。あたかも、不潔で太ってファッションセンスも酷い男が、「自分がもてないのは、男の中身を理解せずに外見で判断する馬鹿な女ばかりいるからだ」と主張しているようだ。恥ずかしいったらない。
増加反対論者は言う。これまではパイを小人数で分けていて余裕があったから、国選その他の公益活動も出来ていた。今後は、生活が苦しくなるから、そういう活動は出来なくなると。
しかし、いったいどれだけの弁護士が、そのような公益活動をしていたというのか。事務員を安い給料でこき使って、破産で荒稼ぎしているのが、非常に多くの弁護士事務所の実情ではないか。たまに公益をする者がいたからといって、それだけをとらえてあれこれ言えるのか。さらに、特権がなくなると善行が出来なくなるというのは、特権階級が自らの特権を守るときに常に主張されていた理屈だということを指摘したい。貴族階級の特権を取り上げたとき、社会国家化の中で富裕層の税金が上がっていったとき、「これではもう自分たちの公益活動は不可能になる。世の中は大変なことになる」と特権階級は主張していた。残念ながら、特権階級に属さない人たちには、笑い話としか思えなかったが。
この他にも、増員反対論者はいくつか主張しているようだが、どれもまともに相手にする価値があるとは思えない。突っ込みどころ満載の主張である。
私が気になるのは、私などよりよっぽど頭が良くて、他人の変な意見に突っ込むのが得意な弁護士たち(現に、弁護士を増やすとユートピアが来るといった主張には、果敢に突っ込みを入れている)が、同じくらい突っ込みどころ満載の、増員反対論者の主張に対しては、突っ込まないどころか、みんなでコピーして使い回していることである。自分たちの利害が係わると、何も見えなくなるのだろうか?
弁護士がいくら増えようとも、お客様に適切な情報提供をし、十分なサービスを提供し、満足してもらうことが出来さえすれば、何の問題も生じない。
「弁護士が増えると天が落ちてくる」といった馬鹿げた主張をしている暇があれば、お客様に満足していただけるために自分に何が出来るのかを、
じっくりと考えるべきではないだろうか。
もっと平等?
どうも弁護士という人たちは、私の常識とは全く違う次元で生きている人たちだという気持ちが抜けないんですね。 長かったサラリーマン生活で違う常識を身につけましたから、どうしても弁護士の常識とは違う常識を持っています。 そこで、私の常識と弁護士の多数派の常識が何故ここまで食い違うのか考えてみました。そこで、はっと気が付いたのです。多くの弁護士は、動物農場のナポレオンのスローガンを当然の前提として考えているのだと。「全ての人は平等だが、弁護士はもっと平等だ」というのを、当たり前のこととして受け入れてるんですね。
たとえば、税金問題で、こんな運動が弁護士によってなされているのを知りました。売り上げさえあれば、たとえ本当に入金が無くても、売り上げ分に税金を支払うというのがルールですよね。このルール自体不当じゃないかという気はしますが、それとは別に、弁護士だけこのルールの適用から除外しろという運動があるんです。 弁護士以外の人の常識からすれば、何故弁護士だけ特別なんだと不思議に思うはずで。弁護士の主張は、要は、「弁護士は世の弱者・貧乏人を助ける意義の高い仕事をしている。貧乏人などがお金を払わない場合に税金を取られるならば、そういう人を助けようとしなくなるので、税金を取るのはおかしい」ということのようです。 しかし、そんなことを言えば、衣食住に関するものを売る人たちだって、貧乏な人に掛けで売ることはあります。なぜ弁護士だけ特別扱いできるのか、一般の人の常識を超えているはずです。 つまりこれが、「全ての人は平等だが、弁護士はもっと平等だ」ということなんですね。多くの弁護士は、自分で意識できないほど、この考えが自らの血肉となっているようです。弁護士だけ特別扱いはおかしいなどと言われると、心底心外だという顔で反論しますから。
仕事が少ないから弁護士を増やすな、質が落ちるから弁護士を増やすななどという主張についても、何だって弁護士だけ特別扱いなのか、私の常識とは相容れませんでした。 自動車整備の仕事など、質が悪い仕事がなされれば、交通事故で何人も死ぬ恐れがあります。その意味では弁護士などよりよほど重要な仕事です。食べ物関係もそうですし、そもそも衣食住関連のほとんどの仕事は、国民生活に影響を与える大事な仕事です。 それでも、厳しい参入規制をひかないと、質の劣った仕事が増えて、大変なことになるなどという話しは出てきません。自動車台数が減っているから、整備工の数を減らせなどと誰も言いません。 何故弁護士だけが、そんなことを素面でいえるのか、私は長いこと不思議でしたが、それも「もっと平等」の考えで解けました。「全ての職業は平等だが、弁護士はもっと平等だ」から、特別な参入規制が必要だということです。
弁護士の増員に関して、「増員に賛成した弁護士は、就職できない弁護士を引き受けないといけない」なんて主張する弁護士もいるようです。しかし、「増員に反対した弁護士は、弁護士になれなかった人を事務員として引き受けるべきだ」なんて主張は聞いたことがありません。 弁護士資格を持ってはいるが就職はできない人と、弁護士資格も持てなかった人とで、どちらが悲惨か、世間では別の考えがあると思います。しかし、弁護士に成れなかった人がどこで野垂れ死にしようが知ったことじゃないが、弁護士たるもの他の職業より平等だから、絶対に就職先がないとおかしいという主張だと考えれば納得できます。
弁護士がワーキングプアだなんて、私の常識からすると、あきれてものも言えないような主張もあります。独立したて、就職したての人の稼ぎが少ないのは、世間では当たり前のことです。一体全体何が問題なのかというのが世間の常識でしょう。 これにつきましても、弁護士は他の職業よりもっと平等だから、就職したてでも、独立したてでも、十分に生活できるだけ稼げないとおかしいという前提での主張だと考えれば理解できます。
これからも私は、弁護士の常識ではなく、一般人の常識を持って仕事をしていきたいなと考えています。
企業法務サポートに関しては、企業法務アラカルトをご覧ください。
刑事弁護に関しては、刑事弁護こぼれ話をご覧ください。

